死を選ばないで欲しい「死にたい」を上回る「生きたい」を探す

死を選ばないで欲しい「死にたい」を上回る「生きたい」を探す

忘れないで

18日の朝、横浜市瀬谷区にある相鉄線を走る電車に身を投げ自殺した17歳の女子高校生がいることを知っていましたか? 毎日のように報道される「電車での自殺」のため日常の一コマとして流している方も多いのではないでしょうか。

僕自身のそのような一人でした。しかし、18日に自殺された彼女のことは忘れられません。彼女と何か接点があったわけではありません。しかし、忘れられないのです。

彼女は、自身の死の瞬間の全世界に向けて発信したのです。詳しいことは僕自身分かっていないのですが、Twitterのライブ機能を使用したようです。こういった内容はすぐにTwitterの運営が見つけ閲覧できないようにします。

しかし、動画を観た何者かがデータを保持し拡散したのです。それを、僕はタイムラインに流れたて来たことで目にすることになったのです。

この動画を見る前に、僕は一度ネットニュースで電車で自殺した高校生が居るということをみていました。

この時点で他人事ではない…

と僕は思いました。

身近な人の自殺

僕の通っている高校である生徒が亡くなりました。全校生徒が集まる集会でそのことを知りました。しかし、「なぜ無くなったのか?」という話は全く出てきませんでした。代わりに「外部の人間にこのことを聞かれても一切答えないように」という口封じされました。

この時点で「病死でも事故死でもないのかな?」と思い始めるようになりました。口封じ共に「このことに関して友達同士で噂しないように」とも言われていたため誰も話の話題にすることはありませんでした。

しかし、数日後「自殺であること」を知りました。原因は、友達からのいじめとのことでした。僕は亡くなった生徒との接点は全くありませんでした。クラスも違えば、学年も違う、部活も同じではないという感じでした。そのため、いじめがあったことなど全く知りませんでした。学校内で誰かが死を考えるほどのいじめがあるとも思っていませんでした。

しかし、身近なところでそれは普通にあったのです。

無くならないいじめ

彼女、死を覚悟した背景にも「いじめ」があったそうです。彼女のTwitterアカウントと思われるものにはそういった内容を匂わせるものや身内からの性的虐待を受けているという趣旨のツイートが残されていました。

そのアカウントを見る限りでは少なくとも数か月も前から死を覚悟していたことが伝わってきました。ツイートを遡っていくうちに顔も知らない彼女のことを思うと悲しくなっていきました。

遡っていくうちに彼女の自殺を止めようと手を差し伸べる人が居るということを知りました。それでも、彼女は死を選んだのです。

世の中には、誰からも手を差し伸べられることなく死んでいく方もいらっしゃります。彼女は優しい誰かの目に留まった幸運の持ち主だったのです。それでも、死を選んだからには、死をもってしか解決できないほどの悩みがあったのかもしれませんね…

僕は困っている人に手を差し伸べる側の人間でありたい

「手を差し伸べる」などと大それたことはできないかもしれませんが、悩み事がある人の話し相手になることぐらいなら出来ます。僕は、コミ症ですが基本的に話をすることは好きです。ひとと対面すると緊張して上手く話すことが出来ないかもしれませんが、文書のやり取りであれば問題なく話せます。

そして、僕は基本的に時間を持て余しています。誰かの話し相手にはもってこいの人材です。

今後は、Twitter等のSNSを使用して「気軽に話せる人になる」活動等もしていきたいですね。誰かに話を聞いてもらうだけでも、会話するだけでも思っていることを誰かにぶつけることが出来れば気持ちが少しは楽になると思います。

死にたいと思う人がいない世の中になって欲しい

「死にたい」と思う要因は様々だと思います。僕も精神状態が不安定になってしまっているときはちょっとしたことで「死にたい」と思ってしまうことが多々あります。それでも、僕はこうして生きています。「死にたい」を上回るくらい「生きたい」と思えるからです。

「死にたい」と少しでも考えたことがある方は自身の生きがいを見つけて見るといいと思います。仮にリアルの世界でいじめられていたとしてもネット上ではあなたのことを必要としているかもしれません。世の中は広くてそんなもんです。簡単に自身を必要としてくれる人など見つかるのです。

何もネットを使わなくても自身を必要としてくれる人は見つかるでしょう。

人間、人とのつながりがなければ生きていけません。

僕が生きるためには、何百人、何千人という人との影でのつながりがあるから今こうして存在していられるのです。その、僕を支えるのが「自分で誰からの必要とされていない。この世の中に居場所がない」と思っている人かもしれません。

必要のない人などこの世の中に一人として存在しないのです。

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